スキューバダイビングの始まりは戦時中、フランス

第二次世界大戦

スキューバダイビングが生まれたのは1943年、第二次世界大戦の終戦2年前。

スキューバダイビングに必要なデマンド型レギュレターを開発したのは元フランス海軍兵。

海洋学者でもあるジャック・イブ・クストーと高圧技術者のエミール・ガニャン。

今から74年前のこと。

アクアラング(水中の肺)

そして商品名アクアラングと称してレギュレターを世界に広めた。

このレギュレターは軍事目的や潜水作業で使われた。

現在のように便利な器材も無い時代。

遊べるのは軍人だけ

遊びで潜れる人は少なく、高価な器材を購入できる人も少ない。

遊びで潜れるのは任務でレギュレターの使い方を教わった軍人。

休暇で潜ったり、引退した人が遊びで潜るぐらい。

一般人は例え器材を入手できたとしても、レギュレターの使用方法を知らなかった。

講習は軍隊方式

レギュレターの使用方法を教えてもらえる人は元軍人。

そこで伝えらる内容は軍隊で教わったやり方そのもの。

体力重視のサバイバル的講習だった。

水泳に自信が無い人、体力に自信が無い人はダイビングの講習に参加することはなかった。

またそんな考えすら持たなかった。

昔のスキューバダイビング講習

現代のスキューバダイビングの講習とは昔の講習は全然違う。

講習ではなく訓練という言葉が等しい。

長い学科

昔は長い学科講習を実施。

専門的な難しい潜水物理、潜水生理、海洋と環境、器材の知識など色々なことを教わる。

試験を受け合格しないと実習に参加できない。

体力重視

実習はとにかく長い距離泳ぐ。

マスク無しでスノーケルを咥え水面に顔をつけて長い距離泳ぐ。

スキンダイビングが出来ないとスキューバ器材は使わせないなどが基本。

サバイバルな訓練

そして今となっては面白い訓練内容があった。

地獄のネックレスという訓練、首に6kgのウエイトベルトを巻いて立ち泳ぎ30分。

ベールアウトという訓練、深度6mの水底で全器材を外して水面へ浮上。

ステーションという訓練、タンクにセットされたレギュレターから15m間隔に沈めてある次のレギュレターへ2回の呼吸で泳ぎ渡る。

どれも今では初心者講習で実施していない。

でもその頃の粗末な器材では体力重視は必要だった。

日本にレギュレターが輸入されたのは

名前はアクアラング

日本へレギュレターが輸入されたのは1953年頃。

スキューバダイビングという言葉はなくレギュレターの商品名であるアクアラングと呼ばれた。

日本にはその頃スキューバ用の高圧タンクはなかった。

消火器の容器がタンクとして使われた。

タンクをロープで体に結わいて潜る。

そしてダイビングの講習とインストラクターのシステムが日本にも入ってくる。

器材も少しづつ変わっていく。

教材は何も無かった講習

学科の内容はインストラクターが決めまる。

インストラクターに全てお任せ。

教材はない。

マニュアルもない。

ダイブテーブルもない。

42年前の話。