人柱

人柱をたてる

人柱とは何なのか。

現代では人柱をたてる行為は殺人であり犯罪である。

人柱をたてるとは生け贄(いけにえ)のこと。

ある時は神の怒りを納めるため、またある時は災害が続き工事が進まない時にこの人柱をたてるという行為をおこなった。

土木工事と人柱

  • 大きな橋をかける。
  • 城をつくる。
  • 海を埋め立てる。
  • 堤をつくる。
  • 用水路をつくる。
  • 用水池をつくる。
  • 神殿をつくる。
  • 館をつくる。
  • ダムをつくる。

など人間にとって都合の良い造形物をつくるときに工事がうまく進まない、大雨、出水、などの問題で壊れて何回もやり直す問題が続くと神の怒りを鎮めるために人柱を用いることがあった。

人柱になるひと

多くの場合は非力で抵抗できないもの、家族のいないもの、若い娘などが人柱の対象にされた。

時には僧侶のこともある。

現場にいた人間を閉じこめた例もある。

人数は1人から多い時では30人以上のケースもある。

人柱は生きた状態で水中に投げ込んだり、棺に入れ基礎の下へ生き埋めにした。

こうして神の怒りを納られると信じていた。

大きな橋やトンエネルの工事など昭和の近年まで人柱の行為は続いたと聞く。

現在では人柱の習慣はないが日本各地に人柱の言い伝えは残っている。

また日本だけでなく世界でも人柱行為は行われていた。

埼玉県の人柱

埼玉県北本市吉見町に伝わる人柱

大雨で川が溢れ大水により橋が流された。

その後、橋を修理するものの大水が出るたびに橋は流される。

人々は橋を架けては流され、また架けては流され、大変苦労していた。

そこで人柱をたてる話となった。

人柱に選ばれたのは両親を失い、村人に育てられた娘。

娘は村人のため川の神様の怒りを静めようと、橋の柱に身を縛り人柱となった。

その後不思議と洪水は納まった。

埼玉県秩父郡横瀬町の人柱

秋の長雨、築いたばかりの池の堤はまた崩れてしまった。

築いては崩れて、崩れてはまた築く。

百姓たちは疲れ、ため息をつくばかり。

そんなある日、娘の巡礼が堤のほとりを通りかかった。

近くにいた百姓が物知りの巡礼にどうしたら堤が切れないか、聞いてみた。

すると娘の巡礼は「堤が何度も崩れる際は、人柱をたてると止まると聞いたことがあります。」と答えた。

話を聞いた百姓たちは誰を人柱にするか相談をはじめた。

けれど人柱になりたいものはいない。

また人柱にしたい家族がいるはずもなく、人柱にしたい人間などもいない。

考えたすえ、村の人間ではないものを人柱にしようと話になった。

とうとう村人は娘の巡礼を人柱に選んだのである。

泣き叫ぶ娘の巡礼を村人たちは人柱にしてしまった。

その後工事は完成し、不思議と堤が崩れることはなくなった。

だが、この池に身を投げる娘が後を絶たないという新たな問題が生じた。

村人たちは人柱にした娘の巡礼の祟りだと思うようになった。

それから娘の霊を弔うために、堤のあぜにお地蔵様を立てて娘を供養した。

しかし、娘の身投げはその後も続く。

土地の人はこのお地蔵様を「はいれはいれ地蔵」と呼ぶようになった。

埼玉県加須市川圦神社(かわいりじんじゃ)

ある年大雨が続き大水となり、堤から水が溢れそうになった。

神仏に祈るが雨は止まない。

村人の一人から「このままでは村が危ない、人柱をたてるべきでは?」と言葉が出た。

川止めで近くにいた母娘の巡礼に皆の目が向けられた。

興奮した村人によって母娘2人の巡礼が激流に投げ込まれてしまった。

すると不思議、雨はやみ、大水で困ることは無くなった。

しかし村に疫病がはやりはじめ、作物が不作になったり、悪いことが続く。

村に不幸が続くのは「巡礼のたたりだ」ということになった。

神々に祈ったのだが、不幸は次から次へと続いた。

そこで、村の長老は相談をして、巡礼の霊を川圦神社(かわいりじんじゃ)に祀り丁重に供養した。

間もなく不幸な出来事は治まった。

まだまだ日本全国には沢山の人柱の言い伝えがある。

江戸城あとからも人柱と思われる人骨が発掘された。