急遽八丈島へ

行ってくれないか

気の重いまま竹芝から橘丸に乗り込み東京から300km南下した八丈島へ向かった。

水曜の朝突然友人から捜索の依頼が届いた、捜索対象者も知人だった。

出航は夜10:30、港を離れレンボーブリッジをくぐり黄色い船体が夜景を横目に移動していく。

新しくなった橘丸に乗るのは2回目、船内にはシャワーはもちろん、エレベーターまでついていたのには驚いた。

休憩室の壁には柳原良平さんのコレクションが描かれている。

柳原良平さんと言えばトリスウイスキーを思い出す。

最初は打合せ

船は20分遅れの午前9:10に八丈島底土に着港した。

迎えの車に荷物を積み、事務所に移ると今までの経緯と状況、これからの活動説明を聞いた。

単独潜水

捜索対象者は午前中に一人で単独潜水、海況を確かめ浜より一人で潜る。

昼になっても帰ってこないので心配して捜しながら迎えに行った。

最後に残る形跡は潮流の早い場所、深度25mの決まった場所に帰りに使う予備タンクが置かれたままになっていた。

テクニカルダイビング

この深度25m地点からさらに深場へ潜って行ったと思われる。

そして何かのトラブルがあり戻れなかった模様。

ダイビングに関しては熟練しており、経験本数も年数もかなり有り、慎重なダイビングをいつも行っていた。

その日も愛用の水中カメラを持って潜っている。

深度25mに置いて行った予備タンクの他、ダイビング器材やカメラは何も見つかっていない。

すでに8日間が過ぎ

事故があってからすでに8日間が過ぎていた。

生きのびているとは考えにくい。

天候は荒れる日が多く3日に1日ぐらいしかポイントを捜索できていない。

9日目の捜索開始

浅い場所が未捜索

それでもその後、行く不明深度25m周辺はほとんど捜索され、12mよりも浅い場所一帯がまだ捜索の手がのびていなかった。

もしかすると浅い場所に流されている可能性もあり、重点的に捜索して欲しいとのことだった。

深場チームと浅場チームに別れ、浅場チームは3チームに分かれ4隻の船に乗船、行くへ不明ポイントの海岸近くを約1時間泳ぎ続けながら捜索した。

浅場の捜索

深度は12~5m、波打ち際が見える深度まで浅場を幅広く流した。

結果は見つからなかった。

透明度は25m以上あり、水温も21℃と内地に比べればかなり暖かい、黒潮の恩恵を受けている。

深場の捜索はテクニカルダイビング

深場チームはテクニカルダイビングの器材を準備し、30mよりも深い範囲を捜索した。

テクニカルダイビングとは深い場所は酸素中毒がおきないように空気タンクで呼吸し、深度30mより浅くなったら酸素32%の空気(ナイトロックス)に変え、さらに深度5mでは99%の酸素を呼吸して体に溶け込んだ窒素を加速的に体外へ追い出す減圧を行う。

通常なら減圧時間に60分ほど必要になるが加速減圧を行うと15分ほどで減圧を終了できる。

それでも深い深度で捜索できるのは10分もない。

潜水時間のほとんどは浮上時間に費やされる。

タンクも空気、ナイトロックス、酸素と3本携行して潜らなければならない。

大深度でも姿は見られなかった。

海が荒れてくる

翌日は午後から海が荒れる予報。

早朝から範囲を広げて捜索を行った。

浅い場所の捜索沿岸線をさらに広げて深度20mから波打ち際が見えるあたりを捜索。

対象者を見ることはなかった。

30mより深い場所も残り一か所をテクニカルダイビングで捜索した。

カメラの部品も何も見つけることはできなかった。

もうこれ以上捜す範囲がなく、また午後から海が大時化になるためここで捜索を打ち切った。

K氏の姿

K氏は黒のウエットスーツ、グローブ、フード、ブーツ、ジーグルのBCD、マスク、ジェットフィンもすべて黒色、ウエイト、14リットルのスチールタンクを背負っている。

カメラはニコンの一眼レフでレンズは60mmマクロ、ネクサスのハウジングでINONのグレーストロボを2筒つけ中央には照明ライトが取り付けられている。

慎重派のK氏は60mより深い場所へは行ってないだろうと専門家の話、ここの60m以深は魚が極端に少なくなる、時間も限られている、深度25mのタンク置場に戻れる位置にいたはず。

トラブルに遭遇

何か予測できない、本人にも回避できない何かのトラブルに遭遇した。

それが何なのか解らない。

トラブルが起きれば重いカメラを捨てているはずだがそのカメラもない。

大深度ではカメラは体に取り付けない。

何かあれば浮力を得るためにカメラを捨てる準備をする。

いったい何がK氏に起こったのか?

今では誰もわからない。

おーい!どこにいる!