平次の碑
もうひとつの目的
本殿のお参りが終わりもう一つの目的を達成すべく右裏へでる。
神田明神の裏には他にもいくつもの神様が祀られていた。
大きな神輿も飾られている。
そんな中に見つけた。

大きな岩に銭形平次の文字が達筆で掘られている。
土台は寛永通宝だ。
そして立て札

銭形平次碑
銭形平次は野村胡堂の名作「銭形平次捕物控」の主人公である。
平次の住居は、明神下の元の台所町ということになっている。
此の碑は、昭和45年10月2日有志の作家と出版社が発起人となり、緑りの明神下を見下ろす地に建立された。
石造り寛永通宝の銭形の中央には平次の碑、その右側に八五郎、通称「がらっ八」の小さな碑が建てられた。
がらっ八

これが平次の子分、八五郎の碑
がらっ八と呼ばれていた。
淋しくないように並んで建てたのだろう。

名前を残したかったのだろうね。
発起人の碑まである。
これらの碑がある場所は江戸時代に東京湾が一望できる高台にある。
そして当時、銀杏の大木があり東京湾を通る船の目印になっていた。
明神男坂
また、そこには明神男坂と言われる長い石段があり、台所町へ降りられる。
転んだらケガだけでは済みそうにないほどの高さがある。
平次の住んでいた町並みを見ようと石段を一歩一歩降りた。
平地まで辿り着くと、ゆっくり見回しながら路地裏を散策した。
昔風の建物はない。
それでも平次が住んだ土地を歩いた事実だけを初詣の土産にした。
アメ横は変わった
御徒町
そのまま、寒風の中を北へ歩いていったら御徒町に出た。
ここも凄い人の多さだ。
線路脇のアメ横を歩くとマグロ、数の子、タラバガニなどを年末のように売っていた。
外国?
そして外国人が多い。
色々な国籍の人達が歩いている。
それだけではなく店を経営してる外国人も多いのにビックリだ。
さらに驚いたのは表にテーブルとイスを並べた韓国料理屋、中華料理、シシケバブの店まで並んでいる。

何処も満席に近いが食べているのもほとんどが日本人ではない。
韓国料理は韓国人が経営しお客さんも韓国人、中華料理を経営しているのは中国人で食べているのも中国人、シシケバブの経営はやはり中近東の人間でお客も中近東の人が多い。
この一角だけ日本では無かった。
まるで東南アジアのどこかの国いるような錯覚をした。
なぞのUFOキャッチャー
そしてUFOキャッチャーのおかしな景品を見つけたのでご紹介する。

みたらし団子のキーホルダーだ。
誰が欲しがるのだろうか?

こちらはハンバーガーの模造品
もちろん食べられない、直径は9.5cmと書いてある。
手中にしたらどうするんだろう。

レンゲのキーホルダー、色々な料理が一口分レンゲにのっている。
欲しい人間がいるのだろうか?

にぎり寿司のキーホルダー、ネタの種類は豊富。
並び方は山積みなので美味しそうではない。
目の前でアメリカ系外国人がトライしていた。
誰が商品を考えるのだろうか?