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節分は昔の大晦日、豆まきはなぜ煎り大豆
節分は昔の大晦日
立春が正月
昔は2月4日の立春が正月。
およそ150年前の江戸時代が終わるまで続く。
旧暦(太陰太陽暦)では立春が年の初めと決められていた。
新しい生命が生まれる時が1年の始まりという考えから2月4日の立春が元日だった。
節分は年に4回
ちなみに節分は季節の節目ということで立春、立夏、立秋、立冬の前日、1年に4回ある。
その中で年の初めという事で立春だけが大切にされ、その前日を今の節分とした。
13月があった
またこの時代の1年は現代の365日ではなく354日と11日少なかった。
ずれていく日にちを3年に1度、ひと月多い13月を作って調整した。
1年は12月で終わりでなく、3年に1度13月まであった。
江戸時代が終わり、明治に入り世界と交易すると日付について海外とのずれが生じ不都合になる。
明治5年に現代の暦に
明治5年に世界と同じ現在のグレゴリオ暦を使用するようになった。
それから現在の1月1日が元日となり、2月3日は節分と4日立春として今に残る。
豆まきとは、なぜ煎り大豆を使う
鬼は外、福は内の豆まき
節分と言えば豆まきが代表する行事。
昔ながらの飾り物をしない家でも子供がいる家庭なら豆まきをする。
豆はこの時期手軽に入手でき、豆をまくことは簡単にできる。
もともとは大晦日に行われた平安時代の宮中行事で旧年の厄と災難を拭い清めるための「追儺(ついな)」「鬼やらい」という豆まきで、一般民衆にひろまった。
大豆を使うのは
穀霊が宿る五穀から選んだ。
五穀とは米・麦・豆・ひえ・あわ。
あわやひえでは小さすぎ、米や麦でも小さい。
大豆が一番大きく、まきやすい、鬼を退治したという話もある。
産地によっては南京豆をまく地域もある。
煎り豆を使う
生の豆を使うとまいた豆から芽が出てくることがある。
魔除けの豆から芽がでてきたら縁起が悪い
悪鬼や疫病が育つようなイメージを避けるため、豆が芽を出さないように煎り豆を使う。
豆まき
豆をまき、鬼を外に追いやる。
豆をまいて魔目をつぶし、魔を滅する。
悪鬼、疫病を追いはらう。
鬼は外と鬼は内もあり
豆まきのかけ声は鬼は外が一般的だが鬼は内と呼ぶ処もある。
鬼を祀ってある神社や寺では鬼は内。
また鬼を神として敬っている神社や寺も鬼は内。
鬼がつく苗字、鬼塚・鬼沢・五鬼上・九鬼などの家では鬼は外は言わない。
魔除けのヒイラギとイワシ
なぜヒイラギの葉
場所により飾りの方法は様々だが魔除のために玄関や門にヒイラギの葉と焼いた塩イワシの頭を飾る。
ヒイラギの葉の針は鬼の目を刺すので鬼が嫌う。
なぜイワシの頭
塩イワシの臭いが嫌いな鬼は避けて通り、イワシの好きな鬼もヒイラギの葉で中に入ることを避ける。
北海道から沖縄まで各地で入手できる飾りの材料が違い、飾りも様々。