ダイビング前にパラオの歴史を知る

4000年前から人が棲む、日本の統治下、南洋庁

日本の真南3,179km

成田空港から空の旅約5時間。

パラオ共和国はミクロネシアの約200の島々からなる国。

パラオ語ではBelau(ベラウ)、英語ではPalau(パラオ)と呼ぶ。

日本の真南にあり時差はない。

東京から約3,200km、東京~小笠原の3倍の距離。

日本とパラオの位置

年間平均気温は27℃。

スコールなどの雨は多い。

歴史

4,000年ほど前から人が住み、16世紀にはスペインの植民地。

その後、1899年にドイツの植民地になる。

パラオの滑走路

1914年に第一次世界大戦が開始、日本海軍がパラオを占領。

第一次世界大戦後、日本の統治領となる。

日本の統治下

パラオのコロールに日本の南洋庁がおかれる。

多くの日本人が移住、住民の4分の3は日本人となった。

道路などのインフラが整備され、学校や病院を設立、貨幣経済の移管を行なう。

移住した多くの日本人はパラオ人に対し、極力差別のない扱いをするように心がける。

日本語による学校教育がパラオの人達に対しても行われた。

年配の人は日本語を話す

現在でも年配の人は流暢な日本語を話す。

また子供の名前に日本風の名前をつける人も多くいる。

パラオのウーロン島の海岸

第二次世界大戦が始まるとパラオは日本の大切な基地となった。

だがアメリカ連合軍の攻撃対象となり、1944年にはペリリュー島の戦いで両軍に多くの戦死者をだした。

このペリリュー島での戦いではパラオ民間人の死者はない。

1945年に日本の統治は終了。

アメリカの統治下

終戦後

第二次世界大戦終結後、1947年にアメリカ合衆国の統治下となる。

学校教育は英語による教育に変わった。

アメリカは教育と福祉健康に援助を行い、食料も豊富に供給された。

1981年パラオ共和国を発足させ、安全保障はアメリカが担うとしてアメリカ軍が駐留。

自由連合盟約国ついに独立

1994年に自由連合盟約国として独立。

現在パラオの産業は漁業とココナッツなどの農業や観光が主。

パラオのウーロン島の海

ほとんどをアメリカ合衆国からの無償援助に頼っている。

温暖な気候と美しい海を求めて近隣諸国から観光客が訪れている。

豊富なパラオの自然を求めてダイビング目的の観光客が特別多い。

ダイビングでは多くのポイントがあり、その中でもブルーコーナーは世界的に代表するダイビングポイントのひとつ。