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節分は恵方巻、最近の流行りと恵方巻のなりはじめ

最近の流行り

節分

節分には福を招き鬼を追い出す豆を巻く。

無病息災で寿命が延びるように自分の歳の数だけ豆を食べる。

玄関の入り口には鬼の嫌いな柊の葉と干鰯を飾る。

昔からの節分の風習。

豆

新たな習慣

比較的最近になって入ってきて習慣化されつつあるのが恵方巻。

今から40年前には関東近辺ではこの習慣はなかった。

また恵方巻という言葉も聞いたことがない。

関西出身

恵方巻の始まりは関西。

それが世に広まったのは海苔業界、コンビニエンスストア業界、寿司業界などが多年にわたる宣伝によるもの。

2月3日節分の日「恵方巻」「幸運巻」「招福巻」と呼ばれる太巻きを一人で1本、切らずに恵方を向いて言葉を発せずに食べると縁起が良いという話。

土用の丑の日の「うなぎ」やバレンタインデーの「チョコレート」と同じく、恵方巻も商業的戦略にのって全国に広まった。

ゆえに最近の人たちにとっては子供の頃から食べていた習慣になる。

関西以外のある程度の年配者とっては恵方巻は知らない食べ物だった。

恵方巻の価格

その恵方巻はコンビニやクルクル寿司では220~1000円で販売。

寿司で有名な銀座の久兵衛では2巻で3000円。

さらに大丸東京店ではアワビふかひれ恵方巻5000円や中島水産十八番(おはこ)巻15000円という高値もある。

最高値は東武百貨店池袋本店の青森県大間産本マグロ恵方巻25000円というもの。

一般庶民には購入することも考えられない。

そもそも恵方巻とは何?

色々な諸説があるが定かではない、そこで一つの仮説を紹介。

馴れずし

寿司の歴史は中国から伝わった発酵寿司から始まる。

岐阜の馴れずしが有名。

琵琶湖で捕れた鮒の鰓と内臓を取り一度塩漬けにして寝かせる。

次に塩抜きをして樽の中へご飯、鮒、ご飯、鮒、ご飯と層にし、蓋をして重石を乗せ何か月も寝かせて発酵させた後に魚だけを食べる。

臭いがきつく食べるには慣れ、不慣れがある。

織田信長に明智光秀が献上した料理で「こんな腐ったものが食べられるか!」と勘気をこおむった。

押し寿司の時代

大阪では箱型で作った押し寿司や棒寿司、海苔を巻いた巻き寿司が作られた。

色々な具を入れて巻いた太い巻物を輪切りにする。

これが恵方巻のもと。

つまり関東で言う太巻き1本もの。

花魁(おいらん)の巻き寿司

その時代、芸能界と同じような存在だったのが花街界隈の花魁。

ファッションの流行りも花魁から発することが大きい。

巻き寿司は特別な祝い事や弁当として豪勢な食事だった。

大阪船場の遊女たちにとっても好物であり、食べやすく、口も汚さず、時間に関係なく食べられる。

贅沢でもあり、便利な食物。

恵方巻のルーツ(ひとつの仮説)

西国の遊郭

昔の正月、ある遊郭でのこと。

あるお大臣が遊女に尋ねた「好きな食べ物は何か?」

花魁「巻き寿司でありんす」

お大臣「そうか巻き寿司か。旨いからのう巻き寿司は。今から食べよう。でもただ食べるのもつまらぬでな、儂と懸けをせんか?」

花魁「何をだす?」

客と遊女の遊び

お大臣「簡単な遊びじゃ」

花魁「ほな何を?」

お大臣「今ここに100両の小判がある。もし今から言うことが出来たらそのままやる。出来なければなしじゃ。」

花魁「・・・?」

お大臣「巻きずしを切らずに持ってこい!」

花魁「何をなさるんどすか?」

巻き寿司を切らずに一本丸ごと

お大臣「余興じゃ!この巻き寿司を切らずに一本丸ごと食べて欲しいのじゃ。そなたのその小さい口には無理じゃろうかな?」

花魁「余興じゃ、しかたおへんな~」

大臣「人に手伝ってもらったり、声を出すのはなしじゃ」

すると花魁は両手に太巻き寿司を取ると口の中に入れる。

だが、小さな口には太巻き寿司はなかなか入らない、中身は零れるし、噛み切るのも大変、頬は膨らみ、顔は赤く染まる。

周囲は大笑い

それを見ていた周囲の者は大笑い、笑いは福を呼ぶという。

大きな福を読んだ花魁は最後に太巻き寿司を完食し、100両の小判も手にした。

その後、この遊びが大阪船場で流行った。

中には花魁が咥えている太巻き寿司が男の一物を銜えているようだと喜ぶ大臣もいた。

その後、その年の方位神様に礼を言いながら太巻き寿司を食べる習慣になった。

あくまで仮設

節分の日に「恵方巻」「幸運巻」「招福巻」と呼ばれる太巻きを一人で1本。

切らずに恵方を向いて言葉を発せずに食べる。

願い事が叶い、商売繁盛、無病息災、縁起が良いとされる。

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