Contents

240年かかった海苔養殖

海苔はなぜのりと読む

のりはこけ

おむすび、巻きずし、のり弁に海苔は欠かせない。

なぜ海苔をのりと読むか?

字を読めば海(うみ)の苔(こけ)。

これで海苔(のり)と読むのも不思議。

なんだか解るような?

解らないような?

なんでこんな字があてはめられたのか。

海苔の歴史は縄文時代

海苔は縄文時代から食べられていた。

2,300年~12,000年前のこと。

古代の人々にとって海岸近くでは食べられる魚貝類や海藻類はとても貴重。

冬の寒い食料が少ない季節、浅い岩場や流木に生える海苔は大切な食料。

生で食べ、乾いたものも食べた。

海苔は冬の海藻

海苔やワカメは寒い冬にしか育たない。

夏には存在しない。

コンブは関東以南では自然には繁殖しない。

更に冷たい北の海だけで育つ。

のりはぬらぬらしたもの

のりとは「ぬらぬらしたもの」という意味。

岩に付いた海苔は海の中でゆらゆらとしている。

藻などの柔らかい海藻全てをのりと呼んでいた。

海苔が書物に初めて出てくるのは1,300年前。

ヤマトタケルも秀吉も海苔を食べた

ヤマトタケルが浜辺一面に海苔を干していたという記述がある。

海苔は大和朝廷への税として納められ、海産物の中でも高級品。

テングサ(寒天)の2倍以上の価値だった。

平城京にも海藻売りや加工海苔売りが存在。

縁起物として宮中でも海苔が使われた。

豊臣秀吉も海苔を食べた。

秀吉が食べた海苔は天然に生えた海苔を乾燥したもの。

400年前に浅草のりや品川のりの名前が生まれた。

焼きのりや海苔汁などが食べられるようになる。

海苔の養殖の始まり

海苔が付くかは運次第

300年前、品川沖に枝を束ねた「そだひび」が作られ最初の海苔養殖が始まった。

けれど完全養殖ではない。

冬の初めに枝を束ねた「そだひび」を沈めるだけのもの。

海苔が「そだひび」に付くかどうかは運次第。

海苔を漉いた板海苔誕生

海苔養殖が盛んになり、海苔を漉くようになった。

約240年前に再生紙の生産が盛んだった浅草で海苔も紙と同じように漉いた。

この時四角い板海苔が誕生。

海苔産地の品川や大森でも板海苔が作られる。

紙状の板海苔は食べやすく、巻き寿司も生まれた。

また板海苔は軽く保存も楽、流通もし易い。

ゆえに世の中に広まる。

そして海苔養殖や製法も全国に伝えられた。

夏に消える海苔

約140年前に海苔の佃煮が創案された。

海苔の網ヒビが作られたのは約90年前、シュロ縄で網を編んだ。

けれどまだ完全養殖は出来ていない。

夏になると消え冬になると出現する海苔。

水温が高くなる夏、海苔が何処に消えるのかまったく解らなかった。

養殖が始まって230年経っても胞子が付くかは運次第。

夏の海苔を発見

約70年前、長い間謎だった夏の海苔が何処にいるか発見。

見つけたのはイギリスの海藻学者キャサリン・メアリー・ドリュー女史。

海苔は貝殻の中に糸状態という形で過ごしていた。

ついに完全養殖

約60年前、愛知、広島、福岡、佐賀、熊本県で人工種付けに成功。

養殖がはじまって240年後にやっと完全養殖できるようになった。

この後、「海苔ひび」も工夫され、養殖技術も向上し増産。

1983年には海苔総生産量108億枚を記録。

海苔養殖はこんな長い養殖の技術を経て今に至る。

海苔を水揚げした後の加工も現代はオートメーション化が発達。

ゴミ除去、細切れ、洗浄、海苔漉き、乾燥、束ねまで機械で作り競りにかけられる。

専門業者のもとで焼き海苔、切断、重ね、ビニール包装後、店頭にて販売。