世界のブラックペーパー海苔 334

世界のブラックペーパー海苔

海苔はなぜのりと読む

こけ

おむすび、巻きずし、のり弁当に海苔は欠かせない。

なぜ海苔をのりと読むか?

海(うみ)の苔(こけ)だ。

これで海苔(のり)と読むのもなんだか解るような?解らないような?

なんでこんな字があてはめられたのか。

海苔の歴史は縄文時代

海苔は縄文時代から食べられていた。

2,300年~12,000年前のことだ。

古代の人々にとって海岸近くでは食べられる魚貝類や海藻類はとても貴重だったはずだ。

冬の寒い食料が少ない季節、浅い岩場や流木に生える海苔は大切な食料になったはず。

たぶん生で食べたか、乾燥したものを食べたのだろう。

海苔は冬の海藻

海苔やワカメは関東近辺では寒い冬にしか育たない。

夏には存在しない。

コンブは関東近辺では自然には繁殖しない。

コンブは更に冷たい海水でないと繁殖できない。

ぬらぬらしたもの

のりとは「ぬらぬらしたもの」という意味から生まれ、藻などの柔らかい海藻を全てのりと呼んでいた。

海苔が書物に初めて出てくるのは1,300年前、ヤマトタケルが浜辺一面に海苔を干していたという記述が出てくる。

海苔は大和朝廷への税として納められ、海産物の中でも高級品でテングサ(寒天)の2倍以上の価値だった。

平城京にも海藻売りや加工海苔売りが存在し、縁起物として宮中でも海苔が使われていた。

豊臣秀吉も海苔を食べていた。

秀吉が食べた海苔は天然に生えた海苔を乾燥したものだ。

浅草のり

400年前に浅草のりや品川のりの名前が生まれた。

焼きのりや海苔汁などが食べられるようになる。

海苔の養殖のはじまり

300年前、品川沖に枝を束ねた「そだひび」が作られ最初の海苔養殖が始まった。

けれど完全養殖ではなく、冬の初めに枝を束ねた「そだひび」を沈めるだけの物で、海苔が「そだひび」に着くかどうかは懸けだった。

海苔養殖が盛んになり、約240年前に再生紙の生産が盛んだった浅草で海苔も紙と同じように漉くようになり、四角い板海苔が誕生した。

海苔産地の品川や大森でも板海苔が作られるようになった。

紙状の板海苔は食べやすく、巻き寿司も生まれた。

また板海苔は流通もし易いので世の中に広まっていった。

そして海苔養殖や製法も全国に伝えられた。

約140年前に海苔の佃煮が創案された。

海苔の網ヒビが作られたのは約90年前、シュロなどで網を編んでいた。

けれどまだ完全養殖は出来ていなかった。

約70年前イギリスの海藻学者キャサリン・メアリー・ドリュー女史が長い間謎だった夏の海苔が何処にいるのかを見つけた。

それは貝殻の中に糸状態という形で過ごしていた。

ついに完全養殖

約60年前、愛知、広島、福岡、佐賀、熊本県で人工種付けに成功した。

養殖がはじまって240年後にやっと完全養殖できるようになった。

この後、「海苔ひび」も工夫され、養殖技術も向上し、増産されるようになった。

1983年には海苔総生産量108億枚を記録

世界のブラックペーパーはこんな感じで育った。




返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA